入学式&卒業式 式辞、祝辞
本年度は、学部新入生1802名、大学院入学?進学者944名をお迎えいたします。ご入学、ご進学、誠におめでとうございます。
大変な努力を重ねてこられた学生の皆さん、そして、皆さんを支えてこられた全ての方々に敬意を表したいと存じます。
学部新入生、大学院入学?進学者の皆さん!
皆さんを博狗买球_新博狗-体育*在线官网?YNUにお迎えするにあたり、お話ししたいことがあります。
それは、YNUのプライドであると私が考えている5つの理念についてです。本学は、戦前の官立の横浜師範学校、横浜高等工業学校、横浜高等商業学校を起源とします。それぞれ、1876年、1920年、1923年に開学しています。実に150年の歴史と伝統を誇ります。本学には、この長い歴史と伝統を礎にした、4つの理念を掲げ教育?研究を展開してきました。「実践性」「開放性」「先進性」「国際性」がそれです。昨年、この4つの理念をブラッシュアップするとともに、今後の大学の在り方を示唆する「多様性」を5つ目の理念とすることを大学の総意として決定しました。
どれも大変重要な理念であり、皆さんが、個として光り輝くために、これから磨かれる各学問分野の「専門性」と共に、本学で身につけて欲しい「力」でもあります。
このことについて、二つのストーリーを紹介します。
最初のストーリーは、水素エネルギーについてです。
約50年前のストーリーです。
1973年、本学に水素エネルギー研究会という研究グループが組織されました。この研究グループは、水素エネルギー協会という学会に発展していきました。世界の水素エネルギー研究のルーツの一つは皆さんが学ばれる博狗买球_新博狗-体育*在线官网のキャンパスであったと言っても過言ではないのです。水素エネルギー研究会の中心となったのは、後に第10代学長に就任される物理学者 太田時男先生でした。当時はオイルショックという歴史的な出来事が起こる少し前のことで、化石燃料の枯渇への懸念が世界的に認識されるようになっていました。代替燃料として有望視されていたのは、原子力と天然ガスでしたが、太田時男先生は、代替燃料を提案し研究するだけでは十分ではないと考えたのです。物理学者らしい大きなスケールでエネルギー問題を俯瞰し、地球の資源を枯渇させないためには、地球外から得られるエネルギーだけで人類社会を回せなければならないと考えられたのです。すなわち、「太陽光と原子力だけで人類のあらゆる消費エネルギーを賄う」というビジョンを打ち出されたのです。
水素エネルギーはそこにどのように関わってくるのでしょうか。エネルギーは「電気」だけではありません。発電において、仮に脱炭素が出来たとしても、機械を動かすための燃料に化石燃料を使用してしまうと真の脱炭素にはなりません。水素が優れているのは、燃焼させても発電に使ってもCO2を排出しない点。また、水素自体も電力を用いた水の電気分解で生み出せるという点です。つまり、あらゆるエネルギーをいったん水素という形に変換して貯めておけば、いわばエネルギーの「通貨」として用途に合わせて使えるということになります。
地球温暖化についての危機感が高まり、「脱炭素」がキーワードとして掲げられた2015年のパリ協定で、水素をはじめとするグリーンエネルギーについて世界中でさかんに議論されるようになりました。1973年から数えると40年以上の歳月が流れたことになります。
エネルギー政策にはどうしても時代の変化や波があります。時代が人類に大きな課題を突きつける時、基礎研究を続けている大学や研究機関があるからこそ、人類は課題を克服できるのです。大学の存在意義はそこにありますし、皆さんが大学で学ばれ、専門性を身につけられる意味があるのだと考えます。
太田時男先生の後に本学の水素エネルギー研究を率いたのは、太田健一郎先生です。パタゴニアの強い風を使って風力発電を行い、その電気を水素に変換して日本に運んできて電力消費をすべて賄うといった構想が太田健一郎先生の構想でした。20年前の構想ですが、スケールと先駆性に驚きます。
この「グリーン水素エネルギー」の歴史と伝統を継続発展させるため、光島教授がセンター長を務める「先進化学エネルギー研究センター」を先端科学高等研究院に2021年に設置しました。ここでは、電気化学の研究者だけでなく、機械工学の研究者など、さまざまな分野の人が集まっているのが特徴です。研究という観点でイノベーションを起こすには、研究者同士の横の繋がりを生み出す仕組みがどうしても必要です。エネルギー研究は、安全性やリスクのことが問われますが、高等研究院という組織には、「リスク共生社会創造センター」という研究センターがあり、社会科学系の研究者も参画しています。博狗买球_新博狗-体育*在线官网は、総合大学の強みを活かし、様々な研究センターが有機的に繋がり、多様な知を躍動させることで、大学が地球規模の課題に立ち向かっていくという仕組みを構築しています。
学部新入生、大学院入学?進学者の皆さん!
皆さんは、この最初にお話ししたストーリーから、YNUのプライドである、「実践性」「開放性」「先進性」「国際性」「多様性」について、何を感じとられたでしょうか。
二つ目のストーリーです。
約100年前のストーリーです。
先日、本学の元教授である山本理顕先生が建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞されました。日本人受賞者九人目ということです。9名のうち、西澤教授、妹島名誉教授に続いて、本学関係者3番目の受賞者となり、実に3分の1が本学関係者となります。博狗买球_新博狗-体育*在线官网の学長として、大変誇りに思っています。
さて、このような世界に誇るべきに実績はどこから来たのでしょうか。横浜高等工業学校に建築学科が設置されたのは、およそ今から百年前、1925年のことです。初代の教授は中村順平先生といいます。また、横浜高等工業学校は初代校長の鈴木達治?煙洲先生が校長でした。鈴木先生は化学がご専門の、所謂、「バリバリの理系」の先生です。しかしながら、名教自然や三無主義などを提唱されたユニークな教育者でもありました。私は、鈴木達治先生の ?現代風に言えば? 多様性を重んじ、包摂的な生き方が先ほど申し上げた3名もの先生がプリツカー賞を受賞された本学の栄誉に続いているのではないかと思っています。
鈴木先生は「バリバリの理系」の先生でしたが、建築学科を設置するにあたり信念を持っていらっしゃったようです。それは、「建築は芸術である」ということです。鈴木達治先生が、中村順平先生を初代教授として、採用される時のエピソードは、『煙州漫筆』という書物に記されています。「建築は藝術であり、美術である。???(中略)???物理や、化学や、数学や自然科学的のものは、世界的又人間的にもので国境がない。建築は芸術的で、民族の特色を発揮して、初めて世界文化に寄与すべきである。当代文化の誇として後世に残しうる建築家、偉大なる天才、信仰、宗教、祖国愛に依って、完成せられ得るであらう。此理想を以て、建築工学科を有する学校は、俗悪であってはならない。」「建築工学科の創立と共に、此が初代の教授として、私の理想とする芸術に基礎を置き、横浜高工建築科の学風を樹立し得る、堪能な人物を物色した。所が東京の曾祢中條建築事務所に、中村順平と云う一寸風変りの、名古屋工高出身者で、仏国に留学して修業した人が居ることを或人から聞かされた。???(中略)???初対面から、私は中村君の人物に傾倒し、ぜひ此人を招聘したいと考え、色々と建築家の件に就き、話題を交換したが、生徒募集人員の問題に於て全く行き詰った。私はこれは愉快じゃ、自分の教育上の信念を貫徹する為に、完成も学校の予算も、平気で無視して居る。全く学者たる面目の一面を髣髴さして居る中村君は決して俗物ではない。しかし馯馬かもしれない。???中略???中村君は純情率直の人で、他人によく思ってもらうとか、他人から自分を高く評価してもらうとか、私の最も少い人である。他から牽制されたり、束縛を受けたりすることを最も忌み嫌う人であったらしい。即ち所謂自由人である。」ここで、学生定員の国家による官制規定は40名であるところ中村順平先生の要望は5-6名。中村順平先生はこの人数でなければ真の教育は出来ないと頑強に主張されたということです。
鈴木達治先生の「建築は芸術である」という多様な学問のあり方を追求する姿勢と中村順平先生というご自分とは異質な思想や背景を持つ方を包摂する態度は、21世紀に生きる我々が多様な知を組織の礎とし、性別、国籍、障がいの有無などを乗り越えて多様性を歓迎し、包摂的に生きることについて、示唆するものであるかと思います。中村順平先生は、横浜高等工業学校に建築学科において、日本初のそして唯一のフランス?ボザール流の建築教育を実践されました。みなさんにおかれては、中村順平先生のご業績を是非とも調べてみていただければと思いますが、建築家?教育者として、実に多くの業績を残されました。本学には、脈々と中村順平先生の建築家としての思想が受け継がれ、多くのプリツカー賞受賞者を輩出したと言っても過言ではないでしょう。オリジンは、鈴木達治先生の多様性を歓迎し包摂的に生きる、そのことであると思います。
学部新入生、大学院入学?進学者の皆さん!
二つ目のストーリー、皆さんは、YNUのプライドである、「実践性」「開放性」「先進性」「国際性」「多様性」について、何を感じとられたでしょうか。
皆さんは、本学で人文科学、社会科学、自然科学の基礎と応用を学ばれることになります。科学とは、どのような分野であっても、エビデンスを重視し、自らの頭で考え、自分の言葉で伝え、皆で議論をし、真理を導き出そうとする人類の営みです。エビデンスを基に、物事の本質を見極めることこそが「科学する心」だと思います。「科学する心」が皆さんの今後の道標になると確信しています。本学は、皆さんが「科学する心」を培っていけるよう支えて参ります。さまざまな科学は、互いに影響しあって発展します。皆さんも自らの学びを醸成されるとともに、多様な科学にも興味を持ってください。そこで培われる「統合された知」は、「科学する心」とともに、皆さんの未来を切り開いてくれると確信します。
皆さんは、これから大学や大学院で学んでいかれます。まずは、しっかりとそれぞれの科学のフィールドで専門性を高めてください。
博狗买球_新博狗-体育*在线官网は、学生?教職員?卒業生?地域の方々など多様なステークホルダーとともに、様々な困難に立ち向かうことが出来る強固なコミュニティです。
そして、今日ここに、皆さんも晴れて本学のコミュニティの一員となられました。
博狗买球_新博狗-体育*在线官网へようこそ。
ご入学、ご進学、誠におめでとうございます。
令和6年4月4日 博狗买球_新博狗-体育*在线官网学長
梅原 出
This academic year, we are welcoming 1,802 undergraduate students and 944 graduate students to our campus. Let me offer my congratulations to all of you.
I greatly appreciate the significant efforts you have made to join the YNU community and also pay tribute to all those who have supported you.
Today, I would like to take this opportunity to talk about the five fundamental principles which, in my view, YNU takes pride in.
The university originated from a merging of pre-war national schools: Yokohama Normal School, Yokohama Higher School of Technology, and Yokohama Higher School of Commerce, which were established in 1876, 1920, and 1923, respectively. Thus, YNU has 150 years of history and tradition , based on which the university has upheld the four principles of “Be Active,” “Be Open,” “Be Innovative,” and “Be Global” in pursuing education and research. To update these four principles and shape the future direction of YNU, we reached a consensus last year to add “Be Diverse” as the fifth principle.
These are all very important principles. They represent the “capacity” we would like you to acquire at the university, which can make you a brilliant individual, along with the “expertise” you will learn in your field of study.
In relation to this, let me introduce two stories to you.
The first is about hydrogen energy and is a story of half a century ago.
Back in 1973, a study group called Hydrogen Research Group was organized at our campus. The study group later developed into an academic conference named “Hydrogen Energy Systems Society of Japan.” It is not too much to say that the study of hydrogen energy worldwide originates from the campus of YNU, where you are going to study. A major promoter of the group was Physicist Dr. Tokio Ota, who later served as the 10th President of the university. The study group was established a little before the 1973 oil crisis—a historical event that shook the world. At that time, a global concern had been recognized about the depletion of fossil fuels, and atomic energy and natural gas were considered viable alternative energy sources. However, Dr. Tokio Ota did not think it sufficient to propose and study these two energy resources as alternative fuels. He looked at the energy issue from a broader perspective as a typical physicist. He thought that, to prevent the earth's resources from depletion, we humans must make do only with energies from outside our planet. In other words, he hammered out a vision of “covering all sorts of human energy consumption only with solar and atomic energies.”
How is hydrogen energy involved in such a vision? Electricity is not the only form of energy. Even if electricity is generated carbon-free, it is not decarbonized in the true sense as long as fossil fuels are used to run the electricity generator. Hydrogen is superior because no carbon dioxide is emitted when hydrogen is combusted or used for generating electricity. In addition, hydrogen itself can be produced by way of electrolysis of water using electricity. This means that, if all sorts of energy are converted to and stored in the form of hydrogen, it can serve as an “energy currency” and then be used for various intended purposes.
As a sense of crises grew over global warming, in 1995—40 years after the Hydrogen Research Group was organized in 1973, the Paris Agreement was adopted where decarbonization was a keyword, and this event has consequently ignited heated debate over hydrogen and other green energies around the world.
Thus, energy policy is inevitably affected by the changes and fluctuations of the times, but regardless, the basic research has been and will be continued by universities and research organizations. That is why, if time poses an immense challenge to us humans, we can manage to overcome it. This is what universities are for and this is why you study at university and acquire an expertise.
Dr. Tokio Ota’s study of hydrogen energy at YNU was succeeded by Dr. Ken-ichiro Ota , whose vision was to generate electricity with wind power in Patagonia, convert the electricity to some form of hydrogen, and transport it to Japan to cover the country’s entire electric consumption. The vision was presented twenty years ago, but its scale and foresightedness are extraordinary.
To inherit and develop the history and tradition of “green hydrogen energy,” the Advanced Chemical Energy Research Center was established within the Institute of Advanced Sciences in 2021 and is headed by Professor Shigenori Mitsushima. The center is characterized by a variety of researchers from different fields, including electrochemistry and mechanical engineering. To drive innovation in terms of research, it is absolutely necessary to build a framework for horizontally connecting researchers. As energy research must be conducted in consideration of safety and risk management, the Institutes for Advanced Research includes a research center called the Center for Creation of Symbiosis Society with Risk, which involves social science researchers as well. By making use of strengths we have as a university, we will organically connect various research centers and fully utilize diversified knowledge to build a framework that will enable us to tackle global issues.
I hope you have learned something from this first story in terms of the university’s principles of “Be Active,” “Be Open,” “Be Innovative,” “Be Global,” and “Be Diverse” that we take pride in.
Now, the second story.
It is a story of a century ago.
Recently, Mr. Riken Yamamoto, former Professor of the university, received the Pritzker Architecture Prize, also known as the Novel Prize of architecture. Mr. Yamamoto is the ninth Japanese laureate of the Pritzker Architecture Prize and the third who held a teaching position at the university, following Professor Ryue Nishizawa and Emerita Professor Kazuyo Sejima. One third of the nine Japanese laureates are architects related to YNU. As President of the university, I am very proud of Mr. Yamamoto winning the prize.
How did these achievements, which can be boasted about to the world, come about? In 1925, about a century ago, the Department of Architecture was established in the Yokohama Higher School of Technology, with Mr. Junpei Nakamura as the first professor. The first principal of the Yokohama Higher School of Technology was Mr. Tatsuji Suzuki (Enshu). Mr. Suzuki was a “very scientific” teacher specializing in chemistry and a unique educator advocating the educational philosophy "Meikyo Shizen," which means "liberal education based on autonomous and voluntary learning " and the "Three No's” principle, which means no tests, no scores, and no rewards or punishments. Explaining in up-to-date terms, his way of life was inclusive, with value placed on diversity. I believe that Mr. Suzuki's attitude contributed to the university's achievement of producing three recipients of the Pritzker Architecture Prize.
Mr. Suzuki, who was a very scientific person, established the Department of Architecture based on the belief that architecture is art. As described in his book Enshu Manpitsu, Mr. Suzuki's anecdote of hiring Mr. Junpei Nakamura as the first professor of the Department of Architecture is: "Architecture is art and fine art. […] Physics, chemistry, mathematics and natural science disciplines, which are all universal and human, know no borders. Architecture can do world culture a service only by being artistic and showing particular characteristics of ethnic groups. Architecture can be brought to perfection by architects who can leave it, as the pride of culture of the day, for future generations, great geniuses, faith, religion, or patriotism. With this ideal, schools that have a department of architectural engineering should not be vulgar." "When establishing the department of architectural engineering, for the position of the first professor, I looked for a person who was excellent enough to create an academic culture for the Department of Architecture of the Yokohama Higher School of Technology based on my ideal style of art. I heard of Junpei Nakamura, an eccentric man who was working for the Sone Chujo Architectural Office in Tokyo after graduating from Nagoya Technical High School and studying in Paris. […] When I met him for the first time, I was totally attracted by Mr. Nakamura. To invite him as the first professor of the Department of Architecture, I talked about various matters with him, but the talks came to a deadlock in terms of enrollments. However, I found him very interesting because he showed disregard for school budgets in order to pursue his educational belief. Mr. Nakamura, who has all the character of an academic person, is never a snob, but he might be a violent-tempered person. […] He is a pure-minded, outspoken person and never thinks he wants to look good to others or he wants to be highly regarded. He seems to be strongly averse to being restrained by others or restricted from freedom. In other words, he is a free person." Despite the enrollment of 40 students required under the government's rules, Mr. Nakamura demanded that the number of students be only five or six, strongly claiming that if there were more students, real education could not be provided.
Mr. Tatsuji Suzuki pursued diverse ways of learning under the idea that architecture is art, and Mr. Junpei Nakamura placed emphasis on the importance of respecting and including different thoughts from his own and from people with diverse backgrounds. I believe that these two persons' attitudes suggest that, here in the 21st century, we should make diverse knowledge a cornerstone of our organization, welcome diversity regardless of gender, nationality, and existence of a disability, and live an inclusive life. At the Department of Architecture of the Yokohama Higher School of Technology, Mr. Nakamura provided French Beaux-Arts style architectural education for the first and only time in Japan. He made remarkable achievements as an architect and educator, which I want each of you to find the time to take a look at. It would not be an overstatement to say that the thoughts of architect Junpei Nakamura have been passed down to the university today, leading to producing many Pritzker Architecture Prize laureates. I believe this achievement can be traced back to Mr. Tatsuji Suzuki's attitude to welcome diversity and live an inclusive life.
I hope you have learned something from this second story in terms of the university’s principles of “Be Active,” “Be Open,” “Be Innovative,” “Be Global,” and “Be Diverse” that we take pride in.
At YNU, you will be learning the foundation and application in the humanities, social sciences, and natural sciences. Whatever field you choose to pursue, science is a human activity which involves focusing on the evidence, thinking for yourself, communicating with your own words, holding discussions together, and seeking out the truth. In my view, a “scientific mind” is a mindset for seeking out the essence of matters based on evidence. I am convinced that a “scientific mind” will be a guidepost for your future path. The university will support you in cultivating a “scientific mind.” All the various sciences develop through their interaction with each other. I hope that you will develop an interest in various fields of science while also developing your own fields of specialization. Such a process will enable you to foster an “integrated knowledge,” which along with a “scientific mind” will allow you to pave your path toward the future.
You will all move on to study at various colleges and graduate schools. First, please strive to work toward building expertise in your chosen discipline.
YNU, together with its students, faculty, alumni, local community, and other stakeholders, forms a strong community capable of confronting diverse challenges.
Today, all of you here have now joined the YNU community.
Welcome to YNU, and congratulations to your enrollment in and advancement to YNU.
April 4, 2024
UMEHARA Izuru
President, Yokohama National University
(担当:総務企画部リレーション推進課)